「いのちが自分を生きさせる」

2005年「筋トレ鍛えるナンチャッテランナー」誕生
2007年「負けてたまるか」へリニューアルオープン。
12年馴染んでいましたが、
2020年当ブログは3度目のタイトル変更。
肉体改造のため筋トレで鍛えるついでにランナー始める、
2005年札幌マラソンでハーフデビュー。
2007年デュアスロンデビューしたが、
泳げないスイムを乗り越えて
2008年〜2016年までトライアスロン活躍。
2015年、神経内科「てんかん」発症のため
トライアスロンはドクターストップ。
それまでの間に自身が辛かった経験は
今後の人生に生きていく。

私は聴覚障害を持っています。
聴覚障害者の中には
手紙などを書くの苦手な人がいます。
当ブログを見て分かる通り、
私は文章を上手に書き上げることができません。
読んだ人全員に記事の内容を理解していただくためには
日頃からブログを更新しながら文章力を鍛えています。
愛読してください。

先日参加した札幌エンジョイランニングが今季最後の大会なのに、おまけに10kmや5kmでも一からやり直すと宣言しましたが、ふっとフルマラソンを走りたくなりました。11月3日の作.AC真駒内マラソンだけど、大会要項を見たらエントリー申込締切が2週間位過ぎていたのです。ダメもとでお問い合わせメールを送信したら「ゼッケンナンバーの振り分けも終了しているため残念ながらエントリーについては受付できません。ご希望に添えず、大変申し訳ございません。何卒御理解の程、よろしくお願いいたします」とご丁寧に返信を頂きました。なんで急にフルマラソン走りたくなったのか自分が分からない、多分ランニング症候群かな(笑)

10月前半トレーニング内容

03日・・・筋トレ45分、ラン3km

04日・・・ラン12km

05日・・・スイム800m

06日・・・パーソナルトレ受講、ラン3km

07日・・・ラン10km

12日・・・筋トレ40分、ラン3km

13日・・・スイム1600m

14日・・・筋トレ75分、ラン3km

16日・・・ラン12km

といった具体的なトレーニングメニューですが、連休のなか道外から友人と再会などその分プライベートでは息抜きして夜更かしが多く不規則な生活を過ごしてしまった。睡眠不足がつづくと精神的に不安定になり、元気がなくなったり、自信がなくなったりするのが頭痛となります。トレーニング4日間休んでしまったけれど持病のリスクをよく知ってるのに自分が情けない。それから筋トレにおける正しいフォームを身に着けるためにパーソナルトレーニングを受講しています。まだ始まったばかりだから「負けてたまるか」。

16日ジムから創成川通りを走りました、往復11.6km。来月は冬の気配が近づいてくるので外を走れなくなります、雪道が苦手なんで(笑)だから札幌つどーむはお世話になりますよ。

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お気入りなのは2006年の北海道マラソンの参加賞Tシャツ。当時は白Tシャツが多かったのでその参加賞Tシャツは真ん中に長方形の枠に「開催日060827」を入れたシンプルなデザインだが、すぐ黄ばみで見える状態に変化してしまって長持ちしなかった。突然ひらめいて「クッション」を作ることに。裁縫箱にあった手芸綿を詰めてまわりを縫うときはミシンで作りたかったですが、ミシンの針が折れていたので手で縫いました。これが第一のふわふわがないクッション完成。満足だと思ったら汚れていて千歳JAL国際マラソンの完走Tシャツキャラクターラン坊ファミリーを被って縫いました。

右上画像が2006年北海道マラソンTシャツ

数年後に第一のクッションから手芸綿を取り出して表のTシャツは雑巾に変身しますが、お気入りの2006年の北海道マラソンのは初参加記念品だから不用品処分はちょっと待って!。各地のマラソン大会に出るたびにもらえる参加賞&完走賞Tシャツですが、もらい続けているとどんどん溜まっていきます。気に入らないモノも、着ないでいるとどんどん溜まり、数年経っても封を切らずにしまったままの勿体無いノベルティ参加賞が溢れています。100円ショップで探したクッション綿のサイズが見当たらなく2個の枕綿を買いました。縫ずセットしてTシャツを被ってみたら崩してしまうハメに。妻に何度も「溜まったモノは捨てたら?」と言われていますが、今度はインテリア雑貨店で厚めヌードクッション2個を購入。黄ばみ付2006年北海道マラソンを含む気にならないモノを沢山集めて被りながら本格的なクッション、ラン坊ファミリー枕、8年前長女から誕生日にもらった体長98cm名のないぬいぐるみにも洞爺湖マラソンTシャツを着させて完成。http://kentrunner.jugem.jp/?eid=341 思い出が詰まったグッズを見る度に過去に戻りたくて仕方ないです。だから負けてたまるか!アゲインだ!アゲインだ!

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今月5日にスイム練習を再開したのはなんと5ヶ月ぶりだ。いざ蓋を開けたら息継ぎは大丈夫でしたが、体が重くなったのとブランクが少し生じるのは悪い影響が大きいと思いました。昨年まではクロールで連続で長距離を泳げた体力があったのに、100m泳ぐのも一苦労。そう、クロールの泳ぎ込みからセット数に変わりました。

再開1回目・・200m×1、100m×6トータル800m

再開2回目・・200m×2、100m×12トータル1600m

再開3回目・・200m×5、100m×6トータル1600m

久しぶりに泳いでみるとしんどさ、きつさに忍耐力が足りなくて、なんだかふりだしに戻った気分。更に泳いでいて肩が上がらなくなったくらい腕を回そうとすると肩に痛みを感じる、それは筋トレで鍛えた筋肉の過労が原因だと考えられます。6日後の再開2回目は200m2本が限度、あとは100mは泳ぎ放題でトータル1600mがやっと。その5日後の再開3回目は200m5本だが300mを泳ぎ込むことがきつそうで自信がなくお預けとなり、心肺持久力を落ちているけど幸いに水への恐怖感はないが焦らず慣れればやれるはず。過去に自分なり2回アイアンマンでのスイム3800m完泳したことは嘘のように信じられない。カナヅチを克服してコツコツと泳ぎ続けて来たから来年でもアクアスロン復活でもしたいと思っています、但しミドルでね。

アイアンマンの思い出が詰まっているし泣いたり笑ったりのロゴマーク付きスイムキャップ。当時はガムシャラに泳いだだけに自分が別人のようだ、あの頃の実力を取り戻せないかね。アゲイン!アゲイン!

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2週間毎今月11日診察の日、今までの状況を報告しました。具体的な内容は頭のなか「チーン」と鳴らす鈴(りん)をりん棒で叩くような頭痛を起こしてしまうことが多いこと。ひどいのは「チーン」の間隔が長い時は2〜3時間くらい寝ると治まります。

前の病院は痛み止め薬のロキソプロフェンナトリウム錠を服用しますが、専門医から処方された薬の効き目がありましたか?と聞かれて正直言って変わりはなかった、今の薬物療法が変ったせいもあって痛み止め薬を飲まなくても寝たら頭痛が治まるケースが多い、だけど社会復帰が怖い、不安を感じるという私は自分の意思を伝えました。毎度、薬量をコントロールして減薬する話についてはトピナ錠かイーケプラ錠かどっち減らしてみようかと勧められました。私は迷いながら「トピナ錠が前の病院では1回25mgを減らす時期に発作症状に襲われるギリギリが多い」の経過を語ると専門医からはトピナ錠はフィコンパ錠によく似た効果のお薬だとアドバイスがあってイーケプラ錠の数が減ります。現在、服用している薬は1日イーケプラ錠250mg×2、トピナ錠100mg×2、フィコンパ錠8mg×1、気分を良くなるための薬200mg×2。今まで薬の種類や病状によって基本的に2週間分だが今回は初めての4週間分でてんかん発作を抑えていますが、頭痛を発症させない生活を送りたいのです。たまに弱音を吐きますが、くよくよ考えてしまう癖だけど反面に私は「負けてたまるか」をモットーにしています。

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10月7日(土)

2017札幌エンジョイランニング

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(10km)1:11:10

前日に受講したパーソナルトレーニングにあった身体のラインが真っ直ぐを意識したせいか、フォームの修正してるみたい。トレーニングだけでなくランニングにも効率よく走るためのポイントが考えられます(笑)

今季最後の大会は北海道マラソン予定でしたが、「引退」をお預けしたため北海道ロードレースでも迷っていました。トライアスロンに関するアイアンマンなど、北海道マラソンを支えて頂いたボランティアの活躍しているマニアさんから「札幌エンジョイランニングにエントリーしました、5kmデビューします。9分/kmペース走の私でも大丈夫かと」と連絡がありました。マニアさんが目指すは憧れのトライアスロンなのでバイクマニアっていうか走りまくっていますが、スイムやランは未熟。私はマニアさんの力になって上げたいと思って10kmの部エントリーしました、駅伝など全種目は同時スタートで5km周回コースを5kmは1回、10kmは2回を走る、みたいな感じでレース。モエレ沼公園では殆ど外周遠路を走るのが多かったですが、今回のスタート・ゴール・受付は陸上競技場が内周にあるとは知りませんでした。気がついたことは先週に応援で行った札幌マラソンなんか全体的にやる気満々でメラメラしていたのに今回の大会はそうでもなかったし全然足が速くないランナーっぽいが多くてマニアさんは「これが大会に相応しいエンジョイだよー」と言ってました。

開会式でしもの先生の「あへあほ体操」指導され、最初は親子ペアラン1kmのスタートが行われました。トップが4分台、最尾が16分台でも小さい未就学児たち一人一人の頑張りが随所に見られました。いよいよ全種目スタートして私はマニアさんと並走で走りましたが、いつのまにか後ろに誰もいなかった。それでも構わないのでマニアさんが無理しないようにペース走を走るのが精一杯だし、脚も故障したくないように心掛けている本人はうまく9分/kmペースを保っていました。1周をクリア時はマニアさんが初完走、私の残りの5kmはハイペース6分/kmペース予定だが、今季出せなかった5分/kmをだめもとで走りました。看板の距離表示がないため距離感が掴めず後半失速して歩かず完走しました。常に22分〜24分なのに随分落ちていますが、1周目は並走で9分/km、2周目は久々の実力5分/kmのペース走を無茶苦茶凄すぎてきつかったけど私にとってエンジョイランニングと言えるだろう。たまには「負けてたまるか」とムキになるのはいいですね(笑)。「一人だとすぐに歩いてしまったかも。歩くことなく本当の意味での完走を果たすことができ大変うれしく思います」とマニアさんに感謝の言葉を伝えられていて私は本当にお役に立ってて良かった。

<男子10km27人中25位>

05km・・・・・・・・45分27秒

10km・・・・・・・・25分43秒

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我がチームつどーむ組の練習会のスケジュールは先月28日、今月4日に実行しました。先回の参加者が6人、札幌マラソン前のためそれぞれの軽くインタバール走、マイペースを走りました。私は7分/kmペースで8kmでしたが、タイムは約58分。超遅いだが、昨年まではダラダラのんびりマイペースを走ると6分/kmなのに考えられないですね。今回は集まりが悪くてつどーむ練習会中止ということで夢ちゃんは外ランニング、私はジム、それぞれのフリー行動。が、気が変ったので札幌つどーむで1人ランすることに。既に走ってるサロマブルーさんもチームの一員ですが、毎度早めに20時頃に終えて「頑張ってください」とランニングコースを出ました。残った私は1人で無理せずマイペース7分/km走りながらマラソン初心者の思い出を懐かしんでいます。冬の季節に雪道ランニングが苦手のため室内をよく利用しているのであの頃のハイペースが5分/kmペース走くらいでした。フルマラソンへ向けての練習には体力・持久力をつけることを目的とした75周30kmを走ったことも。もう二度とその頃に戻れないけれど今でも遅く走れるのできっと神様はまだ私に楽しむ余地を残してくれると思います。今回のメニューは10kmまで約69分、2kmが約11分トータルの走行距離30周12km、久々のビルドアップでしたので凄くしんどかったな。今日7日は今季最後の大会である札幌エンジョイランニング10kmに参加します。

2階ランニングコース1周400m、スタートゴールエリアで撮影。気がついたら髪が伸ばしています。1ヶ月半毎に坊主刈りにしてますが、これからは髪を伸ばしてみようかな、7月以来だから(笑)。私のモットーは相変わらず「負けてたまるか」。

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北オホーツク100kmマラソンで予想意外に70kmを走破して感無量になって、ようやくランナーを続行する一方、自分は何をやりたいことを生きてみたいと決めました。おかげで色々な抱負を語っているのを聞いていると私がその人たちを羨ましいことは分かりました。てるてるまんさんからたまに激励のコメントを頂いていますので彼も癌ステージ1を克服して好きなトライアスロンを諦めなくて2年前に復活して頑張っています。肺気腫の検査は必要不可欠だけどきちんと健康管理しながらそれでも完走はもちろんだが、無理せず楽しませるのが一番だと言っています。

もうひとつは北オホーツク100kmマラソンでお世話になった手話通訳者のこと。手話通訳者の申請は地元通訳依頼して手話通訳者の調整しながら宗谷総合振興局という広域派遣の流れとなります。大会開催地は浜頓別町ですが、通訳者には浜頓別町はもちろんですが、稚内市、枝幸町から派遣しています。統一試験で受かった手話通訳者は宗谷圏域ろう者が少ないしまたはろう者がいない町でも普段から手話で会話する機会もなく、サークルも無く勉強する機会が殆ど無い地域に暮らしているし、更に現場通訳は札幌との差が大きい。普通だったら通訳や会話する機会もなくせっかくの手話を用いていないのに挫折してしまうかもしれない。手話通訳者の皆さんが通訳を目指したきっかけに辞めないと思います。だから色々な人の出会いから学んだ気がします。明日6日よりジムでパーソナルトレーニング受講しますので効果はどうか分かりませんが、自分の努力次第ですから何事にも積極的に取り組んでいきたい。

トレーナーさんとのコミュニケーション手段は筆記ですが、「吐く」と「吸う」は身振りの合図を覚えてもらってくれます。先ずは肥満な腹部の脂肪を落とすこと、体重を減らしたい。そして薬の副作用なんかに負けてたまるか。

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幌平橋で応援は初めての体験

ランニング日和、秋の札幌マラソン大会を開催。私にとって2005年いきなりハーフデビューを果たした思い出深い大会だ、今年は出ないはずなのにやはり10kmでも走ろうと決心した。思ったらエントリー締切に間に合わなかった、応援隊に廻るハメに。我がチームからは出場する5km1名、10km3名、ハーフ5名、応援隊が数名でしたが、会場場所取り応援と幌平橋応援の2班に分かれていました。私は寝坊のため(病人は辛い?)幌平橋へ行くことになってメンバーはチーム1人の通訳さんと待ち合わせしました。その通訳さんは付近に自宅なので毎年幌平橋から河川敷に降りて応援する習慣なのです。実は昨年、私の長女の結婚式で手話通訳者を務めた者です(笑)トップランナーがやってきて私の特技な拍手を送ってどんどん大勢のランナーが走ると幌平橋が揺れている!「通訳者さん今揺れたけど地震かな」と聞いたら「ランナーが走ってるからこうなるよ、北海道マラソンなんかもっと揺れるよ」と応援団長のこと通訳さんが語ってくれたので体感通り震度2くらい怖かった。応援団長に「河川敷に移動しましょう、真駒内方面へ」と言われて私は返事するとき「了解」自衛官挨拶ポーズしながら「よしっ行け」と意図を出した応援団長と私は乗り過ぎじゃないか?(笑)歩きながら声援、拍手を送ったら知り合いの知的障害者(名前忘れたので障害名掲載はお許しください)が走っているのを発見!応援団長に知らせたら「頑張れー」と送りましたが、「うるせぇー、がかぉー」とお礼した知的障害者。発達障害なので的確な言葉が出てこない可能もあり、きっと「頑張ってるよ」と言いたかったかもしれません。今から思えば2009年札幌マラソンで私が伴走者としてその人と一緒に10km走ったのですが、1人でハーフを走れるのは嬉しい。でも我がチームの皆より速い・・。もうひとつの発見は地味なTシャツに見覚えがある背チーム名が・・、持病で通っている病院のマラソン部なんだ。しかもスピード感がなくヒーヒーと頑張って走ってる姿は新鮮でした。幌平橋から真駒内セキスイハイムスタジアムまで約4.5km徒歩しましたが、一番感じたことは最後尾ランナーが頑張っていたこと。私も見習いたいくらい、一からやり直して、ちゃんと5kmか10kmを始めたくて無理せず走りたい。走れないわけじゃないからね。

大会の青空にアドバルーンが浮くとは(笑)

公園内について2時間台ランナーを懸命に拍手を送りましたが、ラストスパートはさすがに苦しそうなランナーが目立ちました。チームの白髪坊主さんのタイムは1時間49分59秒だったので、本人が「50分台が嫌だったので思いっきりラストスパートしたらなんとか50分台を切った」とランナーとしてプライドを語ったのです。それを聞いたら思わず爆発して昔のことは思い出す〜とまた走りたくなりました。白髪坊主さんの奥様も遂に5kmデビュー!33分台でしたが、完走でも素晴らしい。私はまた拍手する癖で褒めたたえたら奥様が恥ずかしそうに笑顔があふれたのです。札幌マラソン応援は2回だが、1度目はバイク、今回は応援団長とともに巡回しながら上司と自衛官ごっこは楽しかった。それから続行する筋トレで肉体改造を目指したい、そしてランニングも一からやり直しだ!だから「負けてたまるか」。

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