「負けてたまるか」

旧ブログ「筋トレ鍛えるナンチャッテランナー」
筋肉質を目指しながらランナーを導入
筋トレとマラソンの両立で頑張るアスリート
2010年5月本格的トライアスロンにデビュー
2015年、神経内科「てんかん」発症で体調不良で
トライアスロン休止していますが、
いつか市民体育大会で復帰するのが目標。
今でも持病と闘っている中年アスリート。

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7月23日(日)

第7回北オホーツク100kmマラソン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・DNF

何度も言ったように完走見込みは奇跡0.1%だけど信じられます?(笑)全く自信がなかったし、不機嫌でした。とりあえず目標は30kmで念のためタイムを貯金したくて10km78分ペース走設定、最悪なら関門時間4時間30分することに。お気入り時計は故障なので使えないなんで嫌な予感でもするかなと気がしましたけど随分前に次女からもらった時計を使うことになりました。が、ラップタイムの仕方が分からず時計のみとなっています。ペース走の把握は掴めなくても失格するまで走ればいいじゃんと思いました。手話通訳者から情報を頂いたのは過去に稚内手話通訳ランナーが70kmをクリア出来なかったとのこと、それは確かに60km〜70kmの関門時間が短く1時間5分しかないから60kmまで貯金するの心構えをしているつもりだ。

いよいよ朝5時スタート、妻、手話通訳者たちが拍手で見送ってくれました。曇りのち霧のようでしたが、昨年どういうわけか35度と違って20度くらい丁度いい走り易くところでした。こんな時間なのに高齢者グループホーム利用者からもまた声援して下さいました。10km通過に時計を見て6時6分、はて??12分速すぎかなと不安を過ぎっていて20km、30km・・・元気がなくなりウォーキングでもしようかなと思ったら後ろから追いかけて来た某チームの旧会長さんから声をかけてくれた。その方は元ジム友、80歳という趣味的なウルトラマラソンを走り続ける「よっしゃあ〜いくわよ〜走」の旧会長なんです。どういうわけかドタバタ走の私も並走してしまい「よっしゃあ〜いくわよ〜走」で元気をつけられました。約3km走りながら13番エイドで旧会長さんから離脱して私はそろそろ駄目か・・と覚悟して預かってもらったスペシャルドリンクのSAVASウメ味を飲んだら体を回復して空を見たり風景を眺めながら綺麗な空気を吸い込まれて嘘のように走れました。フル42.195km通過に約5時間8分くらい、まだ走れる・・・。中間エイドに着いたら6時間15分、25分より早かったので予想意外でした。手話通訳者に気分転換で少し談話して(すいません)シューズを履き替えてから大福食べて後半50kmに向けてスタートしました。足が重くなり走りにくくなった気がすると思ったら北海道マラソン以来、2回ほどロング走しかなかったのでしっかりと足作りになっていないかもしれない。60km通過に大体12時50分くらい貯金が40分あるので70km通過できそうだと期待していました。60km〜70kmとのコース高低差が酷い、クタクタしてウォーキングだらけ、皆はサバイバル生き残り状態のようだ、折り返りで復路から時間がなく私は思いっきり走ったら往路を走った「よっしゃあ〜いくわよ〜走」の旧会長とバッタリ。きっと旧会長さんは中間点で長く体の保温したかもしれない。私は「時間ないんだよ」とジェスチャー表現したが、旧会長さんは「ういっす」と言ったように諦めないで「よっしゃあ〜いくわよ〜走」を走り続けました。27番エイドの距離を見たら68.4km。70kmまであと1.6kmか・・貯金がだんだん減っている、やばそうだ。先ほど走ったあと心肺が苦しかったらしくふらつき、頭痛を発症してしまった。ようやく70kmをクリアしましたが、約9時間24分。100mくらいウォーキングして呼吸を吐いたり吸ったりしたが、やはり心肺機能に問題があって大会関係の方々に迷惑をかけたくないので止むを得ず自分からリタイア申請しました、70km約9時間25分DNF。大泣きしましたが、収容バスに乗って旧会長さんがいたのでハイタッチさせて頂いて会場に着いて握手してくれました。旧会長さんいなかったら70km走れなかったと思いますし、刺激を与えてくれました。念のため救護室で診察してもらいましたが、肺炎、酸素の心配はないが、過去に喘息の経験あるのでは?とりあえず吸入器を服用してください、あとは異常無しとのこと。ショックはないけど「疲れた・・・持病は」と本音を吐いたくらい放心状態。着替えて熱いコーヒーを飲みながらフィニッシュ付近に寄って妻の完走を待つ。年上女房である妻はハーフしか走ったことないですが、持病の私に「必ず治すから信じること」を言ってくれますし、私のために50km挑んて決心したのです。本当は妻の甥っ子と3人でガッツポーズしたかったのに(笑)妻の完走見込みはギリギリ間に合うはずから2人で褒め合いたいと願っていました。妻の姿が見えて私が追いかけて手を握って念願のガッツポーズを撮れました。あとは妻は1人で見事に完走して私が自分の報告したら「えー70km?」驚いたけど完走出来なくても私を褒めてくれました。チーム、友人から「よくぞ決断したね」「楽しめたっしょ」「無理しないでよ」とかメールを頂きました。奇跡というのは70km走れたって意味かな(笑)あと30kmなのに悔しいけど大会関係の方々、手話通訳者、救護関係者、おもてなしエイドボランティアの皆さんありがとうございました。

それから地方から手話ランナーから激励を頂きました。〜位觝廚里箸50km参加の女性から「明日頑張ってください」と激励。間寛平に似たタオルハチマキが私たち夫婦を見て良かったら撮って上げますか?と声をかけてくれて更に今アナウンサーが流してる内容を通訳して上げましょうかとすごく親切でした。折り返し前往路にある26番エイド(65.6km)に向かう私がクタクタ走りながら復路を走っていたポニーテール女性から「もう少しエイドが見えるから頑張って」と励ましがありました。自分も自分より遅いランナーに満面の笑みでファイトガッツポーズを応援したくなります。ランナーとの出会いは言葉が伝わらず手話でも身振りでも「仲間」だから励みになります。また持病と闘い続けていますが、だから「負けてたまるか」。

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5月5日(祝)

日刊スポーツ豊平川マラソン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ハーフ)2:12:02

2日前に妻は浜頓別マラソンに気合いを入れているので2人で自宅から湯元小金湯まで約4時間25分片道25.4kmをランニングしました。内容的は良くなかったけど妻は落ち込んでいましたが、私には妻とロングを走るのは滅多にないので楽しめました。
いよいよ本番を迎えました、2010年以来7年ぶり出場だが、初出場は2006年にデビュー戦より14分速かったので北海道マラソン資格獲得したという深い思い出の大会だ。チームからはファンラン3km1人、ハーフ2人計3人という寂しさでしたが、他のチームの登り旗がズラリ並んで懐かしがっていました。持病が悪化したため、掛け持ちとして所属していたラフネス走游会は昨年退会したのでお世話になった事務局さんに挨拶しながら握手してくださいました。新薬の副作用で運動能力の低下が起こるので7分/kmをダウンしてしまいますのでそのペースだとしたら2時間25分〜30分を予想されます。復帰としてファンランでなくハイペースとしてどれだけ走れるかは試したかった。スタートラインに待機したら近く立ったフリーランの人を見かけました。その人は私がデビュー戦してから知っていましたので思えば12年の歳月となりお互いに白髪が生え始めました。チームの新ちゃんとスタートして真駒内公園1周(3km)して豊平川河川敷を通ります。 沿道での応援にもチームの方々もいらっしゃいました、感謝。ランナーの私としては視野が違います、今回は6分30秒〜7分/kmペースの世界ですからドタバタ走りのように動きや走りが重く感じます。往路を走りながら復路から走るチームの新ちゃんとすれ違った。新ちゃんとはトライアスロンでもないが、バイクマニアっていうかデュアスロンの新ちゃんと言われます。しかしランは苦手だそうで彼にとっては課題のひとつであります。でも今回は私より速く走ったのは初めてだったので嬉しいけど複雑な気持ち。私の方はお得意なビルドアップでも思う通りにいかないし、意外に大体6分/kmペースを保っている。やっと真駒内公園に入ってラストスパートのつもりで走りましたが、完走しました。
10km・・・・・・・・1:03:50
20km・・・・・・・・1:02:11
フィニッシュ・・・・・・・6:01
エイドで給水を除いて歩かず全て走りましたのでフィニッシュしたら思わず色々ありましたなと下を向きました。そのペースは7月浜頓別マラソンでは厳しいかもしれませんが、ドタバタ走りなのでフォーム直しは無理だが、諦めず完走したいし、そして妻、まだ迷っている甥っ子と3人でガッツポーズするのが夢です。完走するのはもちろん私のモードである「負けてたまるか」。

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