「負けてたまるか」

旧ブログ「筋トレ鍛えるナンチャッテランナー」
筋肉質を目指しながらランナーを導入
筋トレとマラソンの両立で頑張るアスリート
2010年5月本格的トライアスロンにデビュー
2015年、神経内科「てんかん」発症で体調不良で
トライアスロン休止していますが、
いつか市民体育大会で復帰するのが目標。
今でも持病と闘っている中年アスリート。

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肺炎と判ってから毎日、抗生剤の点滴を受けて5日目になります。診察時、医師は咳か痰か発熱は出ますかとよく聞かれます。こんな症状は見当たらないし、今日は採血検査そしてレントゲンを撮りました。採決結果はCRPと白血球は最初より随分下がっていますし、レントゲンにも肺の影も薄くなっています。そういえば先日、痛んでいた筋肉痛の原因は胸膜が白っぽいのは炎症が起きるのです。原因が分からない肺炎ですが、時期が悪かったかもしれない、よくある話です、抗生剤の点滴のおかげで良くなっているので良しとしましょう!予定通りに来週火曜日まで点滴を続けてみよう、てんかんの薬の副作用は関係ないと思いますと言われました。前日神経内科の担当医にひどいことを言ってしまった私は情けなかったけど、来月の浜頓別マラソンには間に合うのでなんだか言っても走りたいのできちんと治したいです。

そうそう、東京の甥っ子から返事を頂きましたが、残念ながら不参加に決定。〇纏の休暇を取れない∋ニ擽畊戮函館なら行けたのにという理由。仕方がありませんが、特に妻なんかガックリして吠えてしまいました(笑)最初は甥っ子の経験は浅いので参加するなら50kmにしてハーフしか走ったことない妻を引っ張って欲しいとお願いにしました。以前に他チームのベテランランナーが合流して下さったのが初対面でした。どうやらおしゃべりランナーから私について情報を聞いたそうで私の体を見てはウルトラには厳しいと思っていましたが、走ってみないと分からないですね、頑張ってくださいとメッセージを寄せられました。ベテランの目は間違っていないので自分も5月の豊平川マラソンで分かったのですが、このペースだとやばいと分かります。浜頓別マラソン完走したいのは甥っ子も酷かもしれないが100kmにしてもらい、私がカバーしながら自分も追いかけて走れる作戦しかない。昨年も初挑戦の和さんをアドバイスしながら追いかけて走って5分差で完走したから。今回は残念ながらきちんと肺炎を治して大会に参加して50kmの妻と一緒に完走を目指します。50kmスタート時間は100kmスタート5時間後です。


 

昨日23日、病院に行く支度するときテレビで「小林真央死去」を見て思わず口を開けたまま泣きそうでした。私はミーハーじゃないがマスコミに興味がないけど妻の方がかなり詳しいです。乳がんステージ4ということで大変だなと単純な感想でしたが、テレビで衝撃を受けたのはりゅうちぇるアプリを使用した小林麻央のりゅうちぇる変身だった。*詳細は小林真央のオフィシャルブログに載せてあります。

闘病生活で苦しんでいるのになんて逞しい人だろうと持病持つ自分が恥ずかしくなった。徐々に小林真央を応援することを意識し始めました。残念ながら旅立ちしましたが、テレビで放送された街頭インタビュー回答と同様に残された家族の皆さんが可哀想です。ご冥福をお祈りいたします。

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先回に掲載した筋肉痛にて理由があって病院に行かなかったので6日くらい痛んでいました。19日の夜から筋肉痛が激しくて寝返りしていました。さらに頭痛も頭が割れるような症状で翌日の夕方まで寝込んでしまいました。翌日診察日なので薬のこと相談しようと我慢していましたが、妻は寝返りした私を見ていられなくて通院している病院で夜間診察に連れてもらいました。当番制は内科なので出来る範囲に対応していいですかと言われてやはり胸の筋肉痛が気になるみたいだそうであちこち検査しながら私に質問したり時間がかかりました。CT検査で画像が分かったのは肺炎だったのです。私も妻も唖然、風邪ひいてましたか?と聞かれてたけど否定しました。2時間の抗生剤の点滴を受けてトータル5時間に夜中12時過ぎ診察が終わりました。翌日に神経内科の診察で薬にて話し合いましたが、医師が言っていたのは今まで徐々減らして順調なのに今頃こんな悪化したことは考えられないんだ、つまり筋肉痛と頭痛の原因は肺炎と考えられるし、服用しているてんかんの薬は悪化している可能は低いとのこと。不安なので薬を増やして欲しいと言ったら原因は肺炎ということでイーケプラ錠はそのまま、トピナ錠は元に戻すことになった。これから飲んでる薬は1日トピナ錠50mgka×2、イーケプラ錠250mg×4、フィコンパ2mg×4(就寝前)。まずは肺炎を優先に治すので呼吸器内科に診察を受けたら「入院」「毎日通って点滴」の2選択肢の話が出て私は1週間分点滴を選びました。最終的はレントゲン、採血検査も欠かせないので効き目がなかったら点滴を延ばす可能もあります。痰が出ますかと前日も今日も同じく聞かれましたが、それは肺炎の原因が分かるのです。でも風邪でもないし、痰も出ないですが、過去に喘息を発症したことあると言ったら喘息は肺炎に繋がる病気だと考えられますと医師がおっしゃっていました。まだ原因が掴めず分かりませんけど・・・・しかし来月ウルトラマラソン(浜頓別マラソンのこと)に出ますけどやはり無理でしょうか?と聞いたら肺炎を治ってからと言われて絶望と思われた私は「まずは肺炎を治療すること」と決意しました。妻も「まずは肺炎を優先してそしててんかんの薬をうまくコントロールしたら良いですね、それからあなたは私に浜頓別マラソン初50kmを勧めてくれて感謝しています」と話してくれました。浜頓別マラソンに出れるように練習も復活したいのでだから「負けてたまるか」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑喘息の薬「吸入器」昔も服用したことあります。

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「負けてたまるか─廚坊悩椶靴泙靴燭、服用している薬を徐々に減らしてから来週は4週間目になります。現在飲んでる薬は1日トピナ錠50mgka×1、イーケプラ錠250mg×4、フィコンパ2mg×4(就寝前)ですが、発作も痙攣も見当たらないのはいいですが、やはり感心しやすいだと分かりました。昨年12月、1月にもイーケプラ錠1日4錠のとき発作を発症したことあります。妻がチェックノートに記入してくれますので昨年12月、人の不幸2軒もあり私は涙もろいっていうか薬のせいかもしれないが、泣いていたことありました。それは感心しやすいからです。新薬フィコンパ錠を追加してから体重を増加してしまい、イーケプラ錠も1日8錠で元戻りになり、心身が鉛のように重いと感じるし、他にズキズキと痛んでいるのでなく薬の副作用のせいでフラツキが始めた。集中力や思考力がなくなるし、死について何度も考えたことなく不安を過ぎって自信喪失でした。薬はもうたくさんだ!と何度も心の中で叫んでいました。新薬フィコンパ錠のおかげでイーケプラ錠を減らすコントロールして4月1回、5月1回には出来事で頭を混乱のためパニックになり、またしても自信喪失になり落ち込んでいました。


 

うつ病経験のある後輩さんから私に会いたがっているので何年ぶりに再会しましたが、てんかんとうつ病との違いもありますが、共通点といえば薬で治すこと。確かに記憶が薄れているので失礼かもしれないが、嫌なことを忘れるのが救うことになるし、嫌なことあればきっぱり忘れるしかないし、リラックスして楽しんだ方がいいとお勧めしますとアドバイスを頂きました。後輩さんも結婚する前に苦労した奥様から支えてもらったので感謝していると聞いて自分もチェックノートについて妻と話し合っているので有難みがあります。6月初めにあいの里手話サークルにサプライズ成功してテンションが高まって頑張っていこうと張り切っていました。ところが先日、就寝する前に人の不幸をふっと浮かんでしまい号泣しました。あれ以来、異変あったのは体の筋肉痛。筋トレは時々やっていますが、殆どランニング。慣れている筋トレはしないのに筋肉痛なんてありえない。または日焼けで焼けた皮膚にズキズキと痛んでいるか、それにほんの少し頭痛してるのでスッキリしていません。筋肉痛はとりあえずジムでレッスンスタジオ、ストレッチで柔軟するようにしていますが、大体落ち着いています。妻は私のムキムキした胸をみて「もしかして筋肉痛は体重増加のせいかな。痛んでいるのは胸の筋肉ですね?そういえば最近感心しながら泣いていたよね、昨年12月のときもそうだったし、イーケプラ錠も1日4錠は良くないみたいね。やはり6錠の方がイキイキとした顔してました」という感想でした。因みにアスリート歴12年だが、一番痩せていたのは61kg、脂肪率12%。現在は77kgに25%だが、メタボというより筋肉付ムキムキって感じ。来週は診察日ですが、医師と薬にてコントロールしながら相談したいと思っています。うつ病経験後輩さんの激励があって自分は持病はなんだ!と言いながら立ち直りして「負けてたまるか!」。本当にありがとうね、後輩さん・・・・。

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6月9日、最高気温23度ということで10時過ぎに近所フィットネスクラブに荷物を置いてランニング実行しました。東15丁目屯田通→花畔札幌線を通して走りましたが、茨戸福移通に移動して11時13分・・・。油断禁物なので焦りますが、標識をみてJRあいの里教育大駅まであと1.6kmを表示してあり、11時24分頃でした。先回はサークル終了後15分くらい到着して誰もいなかったから二の舞にしたくないのでドタバタ走りで焦りましたが11時40分頃、拓北・あいの里地区センターに着きました、往路14.3km。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緊張してトイレを済ませて集会室に行ったらあいの里手話サークルは遂にサプライズ成功できました。そうです、ドアを開けたらエアリスさん会長の目が合って「あ!kentさんだよ」とブログ管理人Tさんや皆さんに伝えて私は照れ臭かった。例会終わって皆さんから質問攻めが・・・「おいくつですか?」「走ってきたのですか?」「北海道マラソン出てるんですか?うちの息子も出てますよ」とか手話で触れ合うことが出来て私は役に立ったかなと思っていました。サークル創立のきっかけであるエアリスさんから「これから昼ランチしますけどどうします?」と聞かれたら「エアリスさんに会いに来たので行きます!」と私は4人と一緒に昼ランチへ。一緒に行けなかった皆様、申し訳なく思っていますが、歓迎されてくれてありがとうございました。エアリスさんとはサークル創立までは私と2人との出会いであります。昼食しながらエアリスさんと昔話に花が咲きました。しかしエアリスさんと私の記憶曖昧して一致しないことがあってその内容を整理で少し修正してみました。

1998年秋、私は1997年に支部役員を下ろしていたのでろうあ相談員から「1日体験手話教室講師依頼していいですか」と言われて受け取りました。サンプラザで実施しましたが、積極的な女性から「私はあいの里に住んでいます。サークルをどうしたら作って良いでしょうか?」と質問されてびっくりしました。私は多分「この教室終わって残ってくれますか、その時話し合いしましょう」とかエアリスさんに伝えておきました。話し合ってから連絡先を教えてもらった記憶があります。当時は携帯電話なかったのでもっぱらFAX送信していたからね。翌年、私は何故か支部役員復活して支部長を就任したのですが、総会であいの里手話サークル創立を議案を提出して採決で賛成してもらい、エアリスさんらにネットワーク会議(支部とサークルとの繋がり会議)に出席してもらい「あいの里手話サークル」誕生でした。あいの里手話サークルブログ公開中。 http://ameblo.jp/ai-syuwa/entry-12269914101.html#cbox


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑某支部創立30周年記念誌より引用(2004年発行)

私の思い出はあいの里というのは地理的は遠いのに聴覚障害者センター運営資金造成の街頭カンパに駆けつけてくれたことですね。それを聞いたエアリスさんは「我がサークルは大勢の方々が参加してくれたから」と誇りを持ちました。あいの里手話サークルは来年創立20年目だそうで年の歳月って早いなと感じています。エアリスさんの口癖?「私は手話下手だから」は相変わらず、「さっき読み取れなくてごめんなさい、もう1回手話表現してくれます?私は長い間手話をやってるのに上達しないから」とハッキリ話してくれます。サークル創立時はエアリスさんとの出会いもあって固い約束を忘れず(?)私は支部長になって、肩書きだけど支部会員や他のサークルの協力があったからこそです。サークル創立してからエアリスさんら何人とともに頑張っていて私は感激しちゃいます。5月28日パニック発作でショックを受けたのですが、エアリスさん、あいの里手話サークルにサプライズ成功して立ち直りが出来ました。帰りに雨が降り始めて慌てて無事に最後まで走りました、復路14.4kmトータル28.7km。浜頓別マラソンについてですが、やはりドタバタ走りはきつい、だけどせっかく立ち直りしてるから「負けてたまるか」。

そういえば甥っ子はまだ未定だそうで、妻からもLINEでメッセージを送ったらかなり迷っています、エントリー締切は今月28日。

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先週、市民体育大会トライアスロンinモエレ1日目の平岸プールで応援しに行って良かったので自分もいつか復活したいと誓っていました。その大会の主催といえば毎年お世話になってる札幌トライアスロン連合ですが、初めて参加した大会名は2007年てんとう虫デュアスロンリレー大会(現在はやっていません)でした。3人1チームリレーですが、個人申込みのため、主催がチーム調整で他の2人はフリーなんでそこのチームに入れて下さいました。それがトライアスロンでなくデュアスロンデビューでしたが、そのきっかけにTeam3in1との出会いでした。ブログを確認しながら「バイク伴走」だと思い出しました。

2007年10月・・・てんとう虫デュアスロンリレー大会(バイク伴走)

2008年6月・・・市民体育大会トライアスロンinモエレ(バイク伴走)

2008年10月・・・てんとう虫デュアスロンリレー大会(バイク伴走解禁)

それぞれの記事は完走記録に載せてありますので興味ある人は見てください。思わず懐かしいー。

主催の方々は私が聴覚障害者だと戸惑いがありましたけど伴走してもらうという話が出ていましたが、手話通訳者とともに「必要ない」と要望を出しました。バイクは安全のため、分かってほしいと言われてやむを得ず私は「ランはせめて伴走は要りません、盲目と違いますから。マラソン大会でも1人で走りますが」と訴えていました。「ハーフのベストタイムは?」と聞かれたけど、タイムに関係あるかと私には分かりません。私のベストタイムを聞いたスタッフは驚いてようやくランは一人で走ることを認めました。バイクはマウンテンバイクだったのであまりにも遅かったのでランでは好評だったと記録に残っています。ある人のブログを見たのはkentさんのバイクを追いかけていく伴走さんはアドバイスを教えたのになかなか振り向けてくれないとのこと。あれはびっくりしましたね。今後は段々馴染んでから理解すればいいじゃんと思っていました。翌年、6月市民体育大会トライアスロンinモエレにデビュー。スタッフの一部が替わったため、またしてもバイク、ラン伴走付きと言われてバイク練習生としてお世話になったTeam3in1ののび太さんが討論のように話し合っておかげでランだけは1人で走ることになりました。バイクは仕方がなく前年2回連続伴走付きだが、私を追いかけていくか横に走っているわけですが、伴走さんか?他の選手か?区別分からず、追越すことが出来なかったのです。競技終了後に伴走さんは当時、白鳥室蘭室蘭トライアスロンの主催を務めなので懸命に宣伝しました。ところが私のところにリレーをお勧めしましたが、スイムかランはどうですか?と言われて私は「ウォーターオープンですが、怖いな、ウェットスーツは持ってないから無理でしょう」と言ったら「浮きブイ(?)貸しでもできますよ」と答えてくれました。そしたらだったら個人の部に出たい気持ちがありますと意思を伝えたら「あなたにはバイクは危ないから個人の部にお勧めできません」と言われてショックでした。フリー手話出来るトライアスリートに話したら「聴覚障害者だから仕方がない」という意見でガックリでした。8月の美幌デュアスロンで私と同じバイク練習生(健聴者)がいきなり参加したら転倒して軽く怪我をさせたと聞いて10月デュアスロンリレー大会にも聴覚障害者1人加入してバイク伴走無し希望、美幌の件、健聴者でも怪我したのは矛盾と訴えたと思いますが、やっと解禁できました。市民体育大会でのび太さんの力を借りてくれたおかげで私は諦めず1人で訴えていたのは間違ってなかったと思います。2009年より島おっさんの激励、無表情の古さんも馴染んでおり、ろうあ者トライアスリート増えててもちろん私たちはルールを守りながら楽しんでいました。今年は残念ながら自分もろうあ者の仲間も参加せずさすがに寂しい。


 

2015年、アイアンマンにも埼玉の手話出来る健聴者には大変お世話になりました。スイムルールについて私たちろうあ者4人は戸惑いがあって私は知り合いの審判を呼んであの人を加わって話し合っていて解決してくれました。それから耳に入ったのは宮古島トライアスロンなんかスイムで伴泳条件つきと言われて手話出来るトライアスリートと一緒に訴えてやったことあったそうです。やはり自分をアピールしないといけないし、手話は趣味でなく聴覚障害者と触れ合う健聴者とともに頑張ってもらわないと・・・私はそう思っています。埼玉の健聴者は初対面のときてっきりろうあ者かと思っていましたし、アイアンマンに参加した大阪のろうあ者と交際していたので今は既に入籍していますし、言語聴覚士を目指して頑張っています。会いたくなりましたね(笑)私も持病と闘っているわけですが、焦らずトライアスロン復帰を目指しますのでだから「負けてたまるか」。

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3日市民体育大会トライアスロン1日目は平岸プールでスイムを行いました。今年は応援ということで観戦席に座るのは初めてなので緊張します。受付のバイク王の古さんが見えていつもなら「こっちだよ、ほら参加賞だよ」と言ってくれますが、今回と違って私は「2階観戦」とジェスチャー表現したら「どうぞ」と礼儀してくれました。古さんは昨年、競技中ルール知られてないようで途中で皆集合して注意事項や再度ルールを語ったとき聞き取れないとか見逃した手話通訳者から「すみません、もう一回話してくれますか」とお願いにしたら「kentさんはルールをよく知っているから話す必要ない」と言われて私は思わず笑いちゃいました、9回連続参加だからね。トライアスリート何人か会って本当に久しぶりでしたので「え?泳がないの」とか聞かれました。発音下手の私は事情を語らずのは仕方がないけど「2階で観戦するよ」と言ってました。そういえば私のブログとか読んでない方もいらっしゃるし、ブログのなか、ハッキリとした病名を公表しないので知ってもらいたいために語りたいと思います。「てんかん」の種類がありますが、分かりやすいといえば「てんかん発作」です。大人のてんかんの中で多く見られる種類のてんかんですが、抗てんかん薬が効きにくいため難治性のてんかんに分類されます。発作時に意識がないことが特徴で、発作の間はたとえ熱湯がかかっても気づかないとされています。ケガや重大な事故に繋がりやすいので注意が必要な病気です。運転免許更新は3年後ですが、調子によって返納をお勧めしますと医師から言われています。ショックを与えていますが、運動能力の低下を起こるけど無理にしないようにまだ走れるし、複雑な気持ちです。それからブログで見つけたんですが、トライアスリートのてるてるまんさんは過去に肺癌として右肺上葉切除して昨年復帰して完走したので腺がんの診断をしてくれた某病院の先生、オペをしてくれた先生にも感謝。ありがとうございましたとブログに載せたことはしみじみと感心しました。自分もお世話になってる神経内科の先生から筆談してくれたり懸命にコントロールしてくださいます。

開会式に行かず、ずっと観戦席にいましたが、違和感がありました。それは手話通訳者とスタッフの島おっさんがいないからだ。島おっさんは今年は仕事の都合でスタッフやトライアスロン参加を減らしてしまうとメールして頂いたのです。開会式終了後、暫くして選手たちが登場。師匠・のび太さんを見かけて挨拶しようと思ったら彼は礼儀で挨拶してくれたし、ラフネス走友会の山羊さんのお得意なスマイルを見せてくれたり、トライアスロンマニアのまゆみさんからもナイスポーズ、昨年デビューした大学生の息子と母子とともに挨拶させて頂きました。ボランティアの友ちゃんは相変わらず明るさで選手に気を遣う女性。昨年は25mサブプールなのに今回は高校生以上は50mメインプール使用だというなのでスタート順が2回と縮少しています。観戦してみるとスローのように遅いかなと思ったら16分台!私の実績は18〜22分くらいなのに自分がそんなに遅いなんてと苦笑いしていました。スタート2回目のとき、ビリ泳者が25分過ぎまだ泳いでいることを見て思わず「がんばれ」と拍手しました。あと1周はブイで頭をたたく合図なのでやっとあと1周(100m)か・・と思ったら泳者がリタイアポーズ表現したのです。泳者本人はせっかく練習したのに私は健聴者だったら「諦めるな!もう踏ん張りだ」と叫んだかったけど、幸いに回数チェックのスタッフから諦めないでみたいに話していました。あとから古さんもやって来て説教(?)して泳者は泳ぎ始めたが、何度も立ち止まったりこともありました。折り返しして泳ぎながらプールの上にコーチのような古さんが声援しながら歩いてゴールはもう少しのところに大勢の選手たちも拍手してやっと完泳できました。タイムは35分台。自分も初めて参加したとき皆がガラリといなくて一人で泳いだこと思い出します、29分台でした。キックは下手でしたので完泳したのは感激したのは今でも覚えています。http://kentrunner.jugem.jp/?eid=97#sequel

観戦しながら元気が出ると思っていましたが、逆効果で懐かしくて辛かったし、自分も参加したくなりました。てるてるまんさんが無理しないように楽しんでいこうと頑張っていますので私に勇気を与えてくれます。今度トライアスロン復帰でしたらショート・ディスタンスは厳しいだが、やはりアットホームな市民体育大会トライアスロンで復帰したいです。そのスプリント・ディスタンスに近いですから・・・。スイム800m、バイク21m、ラン5km。復帰するまで持病と闘うので「負けてたまるか」。

右の画像は市民体育大会初参加のとき。

現在より15kgくらい痩せていましたよ(笑)

当時脂肪率が12%。

4日予定だった千歳JTA国際マラソン応援ランには悪天候のため私が合流しませんでした。代表のナスさん、ごめんなさい。

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現在飲んでる薬は新薬フィコンパを除いて少量を減らして1日トピナ錠50mgka×1、イーケプラ錠250mg×4、フィコンパ2mg×4(就寝前)トピナ錠は痙攣を抑えるためですが、昨年、トピナ錠が2錠から無しになってやはり発作したり救急車に運ばれて入院した経過があります。トピナ錠を再度で服用していますが、新薬フィコンパを追加してからイーケプラ錠当時1日8錠とともにコントロールしながら減らしています。今回はトピナ錠無しだと不安を過ぎっていますが、良く知っているのは自分の身体ですから・・・。1日1錠で朝と夕方に0.5錠と言われてて錠剤を潰して粉薬に替わるんです。イーケプラ錠は先回のまま1日4錠、フィコンパは4錠といった用量。一応、薬を減らすのは最近月2回ペースとなっていますが、今回から月1回ペースに変更して安全のためだと医師がそう言っています。フラツキも良くなっているし、5月間走行距離は277km(5月26日時点)なのでますます順調だー、26日はサプライズであいの里手話サークルにお伺いしたくて寝坊して慌ててランニングしました。目的地のサークルが既に終わっていたあと15分後に着きましたが、残念ながらサプライズになりませんでした。今度、サプライズ成功したらサークル活動してる会館を撮って許可を得てこのブログに載せたいと思います。


 


 

それから28日日曜日にてちょっと頭が混乱してしまいパニックになりそうでした。私の知り合い健聴者と待ち合わせですが、南側駐車場で集合に行きました。妻の友人も来るので「遅れます」と連絡が来て誰もいなくて私たち夫婦は私の知り合いを捜しまくっていました。妻の友人から「着きました」と私たち夫婦は元の場所に戻してまた探していました。「南側駐車場にいますよ」と妻の友人から連絡来て周回の半分くらい歩きましたが、約束の時間が過ぎてしまい、私の知り合いの連絡先は知らないし、SOSエールもできませんでした。結局南側駐車場は外周南側駐車場のことだったなので私たち夫婦が待っていたのは南駐車場なのでてっきり周回の南駐車場と思い込んで勘違いしましたし、情報不足だと分かりました。私は妻の友人を捜しながらパニックのため具合が悪くなり、解決できて車内で2時間半〜3時間くらい寝込んでしまいました。幸いに発作にならず済みましたので関係者の皆様、ご迷惑をおかけしました。

「興奮」「混乱」「パニック」は持病の禁物なので自分も支えてくれる妻も私の発作を抑える必死なのに。あれ以来落ち込んでしまい、ずっと走っていませんし、4日参加予定だった千歳JTA国際マラソン応援ラン(札幌駅から大会)は走る気がなくて不参加と申しつけました。事情を聴いた代表のナスさんは「体調が良ければ連絡ください、札幌駅か福住駅でも合流してください。待ってます」とメールくれました。立ち直りきっきけないかなとブツブツと言っていた私。

3日は市民体育大会トライアスロン1日目平岸プールでスイムを行います。やはり応援しに行きたいので時間を確認で連合HPを見たらスタートリストを覗きました。師匠・のび太さんが久しぶりの参加、転勤してしまった消防士が札幌戻り?、私と同じくスイムが苦手なサブ3ランナーが初参加、馴染んでいた北大生のエース達がもう卒業していないかな、癌でステージ1治療済でも無理しないで楽しめる同年代の方がビリ宣言と言っていますし、あの島おっさんの長男(?)登場かな、常連の旭川トリオも参加するんだな、色々な名前を見て懐かしがっていました。明日天候良ければランニングで応援しに行きたいです。また持病と闘っていますが、だから「負けてたまるか」。

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今年はトライアスロン休止と発表しましたが、馴染んでいた市民体育大会にエントリーしたら10回出場連続になるところでした。悔しいですな、だけど恩返ししたくてボランティアでもしようと考えていました。しかしチームからは若おっさんはトレイルランニングにはまっているし、デュアスロンの新ちゃんもそろそろトライアスロンデビューしようと相談を持ち込んであったけど事情があって2人とともエントリーしませんでした。その大会にろうあ者が最低1人出場だと手話通訳者依頼して私もボランティアを申し込むつもりでした。残念ですが、そのかわりに6月3日の昼に平岸プールでスイムを行うので応援しに行こうと思っています。昨年の市民体育大会トライアスロンでは大学生の息子と母子とともにデビュー戦を飾ったという異例とか、ジュニア時代から育った消防士も結婚すると嬉しい報告があり色々とありました。スイムもバイクも苦手だけにアットホームでコンパクトな手作り大会なので頑張れる!という実感が湧いて毎年参加したくなります。

↑バイクは眠っています・・・。

いつもお世話になっているのが市民体育大会トライアスロン、小樽アクアスロンのスタッフ盛大をやってくれる島おっさん。親しみ始めたのは2009年小樽アクアスロンだ。私は骨折から復帰したばかり、島おっさんは盛り上がってくれたことを一生忘れない。詳細はhttp://kentrunner.jugem.jp/?eid=301 最近たまたま手話通訳者依頼も配慮してくれるし、アイアンマンジャパンにも島おっさんが審判を務めたので私がバイクが失格のとき迎えに来た島おっさんの胸で号泣した思い出があります。島おっさんの息子たちもアスリートをなさっていると思いますが、昨年浜頓別マラソンに出て往路のとき若手3人組が私より速く走っていました。若手は元気よくはしゃぎ出してお祭りのようでしたが、その大会では参加者が熟年が多いだけに若手がいるのが珍しかった。折り返し点から走ってた私はダウンして歩いていた若手の一人を見てファイトポーズしながら走りましたが、その若手はすぐ笑顔してたが、苦しそうな顔したので心配していました。その頃はお父さんの島おっさんはハスカップトライアスロンで元気よく競技していたと聞きました(笑)私はなんとか完走しましたが、その若手のことが気になってゼッケンはしっかり覚えていたので新聞号外、パンフレットを見たらなんと島おっさんの次男か三男ではありませんか?と驚きました。でも残念ながら50kmでリタイアしました。島おっさんから「北オホーツク(浜頓別マラソン)の件、息子からkentさんと遭遇したこと聞いています。素晴らしい偶然です」とメールを頂きました。島おっさんの息子さんは今年もリベンジするかな、また再会できたらいいなぁと思っています。「挑む、チャレンジ、この前向きが大事ですよねー。」と島おっさん。市民体育大会トライアスロンは今年は欠席ということでとりあえず2〜3年後に復帰したいのが目標。今後の予定は6月4日我がチーム企画で千歳JTA国際マラソン応援ランに参加します。札幌駅〜千歳JTA国際マラソン

庭で梅の花が見事に咲いています、私たち思わず眺めています。またまた持病と闘っていますが「負けてたまるか」

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最近、豊平川河川敷を通してランニングしていますが、ただ今5月間走行距離145km(5月13日現在)10日は気象庁の天気予報大外れ、いくら予想気温が外れたって・・・ランニングコースは15丁目通り、最寄り駅を通してJRあいの里公園駅前1kmに着きましたが、ジムから14.3km時点。そういえば我がチームつどーむ組も以前にスイーツランニング企画を実施しましたが、残念ながら私は持病で参加出来なかった。スイーツとはロイズあいの里公園店なので麻生発だったと思います。コンビニエンスストアに寄ってトイレを借り終わってあいの里公園、JR駅までウロウロ歩いてみました。あいの里に来たのは何年ぶりだろう、そういえば創立を設けた当時私が聴覚障害者協会の組織区内支部長に就任したばかり手話サークルの連携として見守っていた「あいの里手話サークル」は健在しているかな・・・。と浮かんでいました。そのサークルは1999年4月創立だが、篠路と屯田住まい協会会員のご協力を得て区内初級話講習会を修了した受講生も入会して今でも頑張っていますよ、今度行けたら行ってみてくださいねと知り合いの友人から情報を頂きました。今度、また走りたくなりますし、かなり練習量もいいです(笑)帰りにあいの里鉄橋下(?)を見たらその先はなんと豊平川河川敷ではありませんか?そう、橋下を降りて河川敷に繋がっているのです。小雨降り始めたのでドタバタ走りで帰りましたが、なんとも遠かった気がしました。ジムまでトータル31.1kmでしたが、4月の小樽ラン以来はロングは久しぶりだが、ドタバタ走りはきつい。でもあいの里ランはかなり練習になるのでまた来週でも走りたくなるのでサプライズとしてあいの里手話サークルにお伺いしたいと考えています。手話サークル員の皆さんも頑張っていらっしゃるので私も持病と闘うと同じように頑張っていこうと思っています。だから「負けてたまるか」。

現在飲んでる薬は新薬フィコンパを除いて少量を減らして1日トピナ錠50mgka×2、イーケプラ錠250mg×4、フィコンパ2mg×4(就寝前)フラツキは相変わらずだが少し良くなっています。ただ、トピナ錠、イーケプラ錠の共通点注意事項は「眠気、注意力、集中力、反射運動能力などの低下が起こることがあるので、自動車の運転など危険を伴う機械の操作には注意してください」だからドタバタ走りはそうなりますね。

浜頓別マラソンについて、甥っ子はまだ検討中。そんなに本気に悩んでくれるなんて嬉しい。最初は尻島一周悠遊覧人に誘ったが、時期が悪くて断られたですが、道内住まいではありません。今度は浜頓別マラソンにも誘って見たが、丁度いい宗谷にある実家に帰る時期だし、会社の休暇もあって凄く迷っているだそうです。その事情を私に話せるなんて感激しちゃいますね。無理しなくていいから休暇は大事に使いなさい、最低でも一緒に走りましょうとLINEでメッセージを送りました。

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4月の記録はラン200km、スイム3kmでしたが、外ランが2回計66km。来月は栄さんのチーム練習会でモエレ沼外周50kmに参加する予定。目的はサロマ100kmのための50kmペース走ですが、私たち夫婦はサロマ参加せず1ヶ月後に浜頓別マラソンのため経験を積ませていくように練習会に参加決定。今から思えば2011年予想もしなかった完走したサロマ100km前にお馴染の練習会に参加させて頂きましたが、どういうわけか30kmくらいギプアップしたそうです。2011年完走記録「ほっかいどう24時間走」を引用します、懐かしい。確か、自信喪失は何度もあった〜(笑)

モエレ沼公園で受付をギリギリ済ませてゼッケンをつけながらエイド設置など確認してまもなくスタートしました。ロボロボさんと並走してサロマ100kmについてアドバイスを聞きながら走りました。私はウルトラに向いていないことは分かっているが、慣れていないLSDに挑戦、6分/km目標設定にしました。1周2kmL型ぐるぐる回りでしたが、低温のため長時間に体が冷えてるのではと心配しました。長袖シャツ・半袖シャツ2枚重ね、半ズボンの上にウエットパンツ着用でしたが、あまりにも寒さに耐えられず15周ギブアップしました。(翌日風邪でダウンしてしまいました、情けない)残念ですが、目標達成出来ませんでした。反面に履いて走った練習用の軽量のシューズに違和感があったことに気がついたことは良かったかもしれない。サロマ100kmへの道のりは険しくなっていました。
大会に感じたことはまさにウルトラマニアのランナーの世界だなと印象。でも私と同じく初挑戦も沢山いらっしゃるはず。エイドには何も言うこともないけど好きなマラソンをボランティア、応援者に支えられ存分に楽しめているんだと改めて感心しました。だけどウルトラマラソンはまだ好きになれません(笑)

それから話変わりますが、ジムのことフィットネスクラブに通っています。現在のジムは4度目ですが、実は2度目のジムに再入会しています。マラソンを始めたのは2005年、某体育館と札幌つどーむ中心でした。2007年、手話サークル員から「所属しているフィットネスクラブに入会してみない?」とお誘いがありました。2度目のジムに見学に行ったらなんとなんの説明もなく見るだけでした。インストラクターは現在上司だが、当時は戸惑っていたかもしれない。無神経といえば「完全参加と平等」を知らないのは残念。嫌になって2年くらい会社帰りに体育館と温水プールに通っていました。2009年、リストラのため夜勤に変えたので時間の都合で体育館に通えなくなり、フィットネスクラブを捜そうとしました。見学したジムより最も酷いくらいシステムがあったので呆れました。詳細はhttp://kentrunner.jugem.jp/?cid=12 断念し、今のジムにはトラウマもあって行きたくないとのことでわざわざ少し離れたところにフィットネスクラブ(プール付)に行ったらフロント、インストラクターの感じも良くて入会することに決まったが、通勤時間はちょっとでした。たとえ見学したジムはちゃんと説明したら入会して近くて楽々通うのにと悔しがっていました。でも筆記で説明してくれないのは不便は不便。3年くらい通っていましたが、やはり冬道には限界ですね。我慢して通うわけにはいかないからね。次回のフィットネスクラブを捜そうとしたら近所といえば最初見学したジムの向かいにあるフィットネスクラブに見学したらよく配慮してくれたのはいいけどマンシの使い方、レッスンなどつかいづらいところもあって断念、今のジムに入会しました。そこが2度目のフィットネスクラブです。入会して脂肪測定やマシンを説明してくれたインストラクターはとても優勢でしたので安心でいられると思いました。あのインストラクターはいつのまにか辞めていましたが、残念でたまりません。イベント企画「ダイエットコンテスト(だったと思います)」に参加料を払って月に減っているか脂肪率はどれくらいなっているかというイベントですが張り切っていました。脂肪測定なのでどうぞとフロントから教えてくれてジムエリアに行ったら測定を測ってから私は自分から筆記用具を用意して説明されるのが楽しみでした。が、若いインストラクターはプリントしたデータを私に渡して終わり、何も書かないなんてあり得ない!参加費を払っているのに、信じられない。または筆記を意識しない可能もあります。仕方がないが、私にとってはダイエットコンテストに意味がないってことが分かり、辞退しました。当然ですから。しかしアンケート箱があって迷っていましたが、少しでも改善したらいいなと正直に書いて投票しましたが、全く誤算でした。インストラクターたちとの雰囲気が気まずくなって代表からおわび状を貰ったのはいいけど上司たちは若いインストラクター(張本人)をかばっていました。張本人は反省もせずお詫びもしなかったし私から見て上司たちと同様にまだ子供扱いとみてました。暫くして張本人が退職して挨拶メッセージ紙を見たら呆れたっていうか頭に来たことありました。何故かというのは張本人はデイサービスで職員内定(当時)のことだ。ならば障害者の理論を習っているはずだ。なのに何も書かずコミュニケーション手段を無関心な人は福祉関係に勤めるのは矛盾。実は私はアスリート前に福祉に関わりを目指していました。まずはろうあ相談員の協力を得てホームヘルパー2級の資格を取りました。その間に講師は多少手話出来るし、奥様も登録手話通訳者だ。講師から「本当はいけないけど受講生のあなたにミニ講演をお願いしたい。先天的だから分かりやすいと思うけどプライベートは仕方ないが、理論としていい勉強になるだから」って戸惑っていた私は要約筆記の協力してくれた受講生の皆さんにお礼のつもりで理論を受け取りました。多分私の生い立ちだったと思います。修了してから皆さんはヘルパーの道へ歩んでいるが、私だけは未定。働きせてくれる志望の知的障害者施設1軒もないから、ろうあ相談員や聴覚障害者協会などの協力で夕張、室蘭、大阪、京都の4施設を実習させて頂きました。採用にて相談もしましたが、職員は健聴者なんでミーティングしなければならないので私には雑。だから不採用となり諦めていました。なのに張本人は分かっていない理論なんか仕事を就くなんて上司の指導のせいかもしれません。2年前までは若手の入れ替わりが酷くてバイト感覚みたく私の知り合いがいてジェスチャーで会話してるの間の真中に立った若いインストラクターが私たちを珍しくみてましたし、フロントにも信用できるスタッフ女性と筆談かジェスチャー会話をやってるところ、スタッフの後ろから覗かれた私を珍しがっていました。どういう指導しているだろうと言いたかった。3年通っていましたが、スイム上達したくて知り合いが多いフィットネスクラブに入会しました、2015年3度目。メニューもフロント、インストラクターも良いでしたが、設備はちょっと。6時間リレーなんかお願いさせて参加しましたし、いい思い出。が、持病がひどくなりトライアスロン休止して泳ぐのを避けて筋トレとしたら2度目のフィットネスクラブのがいいと思って突然退会しました、会員たちに知らせなくて申し訳なかった気持ちあります。(実際私が再入会してから他にも3人入会してました、びっくり)4度目のフィットネスクラブは今通っているジムだが、2度目のジムに再入会しました。やはりマンシ使いやすいし合ってました。過去はしっかり忘れようと必死ですから。再入会したら上司たちは相変わらずだがあとはガラリ変わっています、若手ばかり、不安となっていました。やはり少し離れた某体育館でも良かったなと思ったけど当時新人2年目(?)インストラクターは元フロント係なのにいつのまにかジムエリアと掛け持ちとなって若手の常識が良くなってる。あのインストラクターが優勢なのできっと影響されているのでは?と感心しています。2度目のいたジムにいた頃、よく笑顔で挨拶してくれたから。フロントだからね。まさかジムエリアまで良くなっています。正直いってジムレッスン講師上司二人は何も変わってないし優勢なインストラクターを見習いたいくらい。もしセミナー開講するなら若手だけでなく上下も関係なく上司たちも「完全参加と平等」を学んでほしい。残念ながら優勢なインストラクターは退職しました、悲しくなったけど私は成長していく若手を応援していきたいと思っています。自分も持病と闘うから頑張るし、だから負けてたまるか!

因みに今のジムは若手へ頑張ってくださいと激励というつもりでアンケートはどこに置いていません。でも障害者は不便は不便。それは別として利用者として意見でね。

「完全参加と平等」<参考資料>

http://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/ketsugi/094-23.html

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r039/r039_026.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%B9%B4

 

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